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時代とOKI

第9回 交換機の電子化に向けて、コア技術を提供

1967年(昭和42年)4月、日本電信電話公社(以下「電電公社」)は「10年後の電信電話ビジョン」を発表。その核を担う新技術の1つとして注目されたのが電子交換機です。OKIは独自の研究・試作を推進するとともに、実用化に向けた電電公社の電気通信研究所(以下「通研」)の国家プロジェクトに参画。半固定記憶装置の領域で重要な役割を担います。

電子交換機国産化の共同開発に参画


画像通信を可能にしたテレビ電話

国内の電話台数が1,118万台と世界第2位になった翌年の1967年(昭和42年)、電電公社は来るべき情報化社会を見据え、電信電話の将来像を示す「10年後の電信電話のビジョン」を公表しました。具体的には、航空機・自動車などの移動体通信、携帯電話・プッシュホンの普及、テレビを利用した授業など、当時における10年先を見通したものでした。この実現に不可欠な要素とされたのが電子交換機であり、第一歩として1968年(昭和43年)から第4次電信電話拡充5カ年計画がスタートします。

通研はさっそく国家プロジェクトとして電子交換機開発の共同研究を開始。しかし、実際の開発は、ダイオード、トランジスタ、ICなど、新しい素子がつぎつぎに登場するなかで混迷を極めました。そのような中で、突如、アメリカが世界初の電子交換機を実用化したというニュースが飛び込んできました。核になるのは日本が考えていた方式とは根本的に異なる「蓄積プログラム制御方式」でした。

「蓄積プログラム制御方式」とは、あらかじめ決められた機能の実行を、記憶装置に蓄積された処理装置により制御するというもので、電子計算機で使われていた技術です。プロジェクトにおいて半固定記憶装置を担当していたOKIの技術陣はコストも考慮しつつ検討を重ね、プログラム蓄積用には通研が開発したメタルカードメモリー、一時記憶用にはコアメモリーを使っての蓄積プログラム制御方式を提案。ここに至り共同研究プロジェクトは次のステップへと進みます。

国産電子交換機の変遷

1964年(昭和39年)、電電公社は蓄積プログラム制御方式の採用を決断し、電子交換機実用化に向けて10カ年計画を発表します。1966年度(昭和41年度)末までに室内実験用の「DEX1」、続いて現場試験用の「DEX2」を開発し、総合的な検証を踏まえて、1973年度(昭和48年度)までに商用を開始するというスケジュールでした。これにより各社ばらばらに進めてきた電子交換機の開発は1つの方向に収斂され、共同研究プロジェクトもにわかに活気づきます。


淀橋局納入のD10電子交換機

計画は順調に進み、特に「DEX2」の通話路に採用された小型クロスバスイッチは、その製造をOKIが担当。従来とは一線を画するユニークな設計が世界から大きな注目を集めました。プロジェクトは、さらに経済性を追求した「DEX21」の開発へと進みますが、ここで1つの問題が判明します。プログラム蓄積用に採用していたメタルカードメモリーが実用化レベルにおけるプログラムの変更頻度に対応できないというのです。結果的にはOKIが独自開発してきたワイヤーメモリーを試したところ問題は解消。交換性に富み、経済的でもあったため、DEX21以後に記憶装置として採用されることになりました。

このように実用化研究を繰り返したのち、電子交換機は商用機「D10」として1つの完成を迎えます。OKIは1969年(昭和44年)12月に電子交換推進部を設置。中央制御系の経験が少ないというハンデはあったものの、メモリ分野のアドバンテージを活かして日々研究を重ねました。1971年(昭和46年)10月には、晴れて新宿・淀橋局に商用第1号の電子交換機「D10」を納入。我が国における電子交換時代の輝かしいスタートをここに記しました。

「オムニパックス」で電子交換機市場を席巻


電子交換機オムニパックス

「D10」の開発技術をもとに、OKIは他社に先駆けて民需分野へ進出していきました。ただし、産業界は当時、石油危機を背景に低成長時代に突入しつつありました。このような背景のもとに1976年(昭和51年)、OKIは電子交換機「オムニパックス」を世に送り出すのです。民需用電子交換機の技術に「端末の沖」として定評のあった入出力装置、モデム、搬送装置の技術を付加した独創的な商品でした。

この頃、全国に支店や工場をもつ企業では、電話に加えてファクシミリやデータ通信が日常化し、通信費の増大を余儀なくされていました。当然、どこの会社でも通信費の節約、オペレーターの省力化などを考えており、「オムニパックス」の専用線ネットワークを導入することにより、電話料金が公衆回線と比較して大幅に削減できると歓迎されたのです。

当時の社長・山本 正明は、経済が低迷している時期こそ、「顧客の役に立ち社会に貢献する商品」を提供していくことにOKIの存立基盤があると提言していましたが、「オムニパックス」の価値は、まさしくそこに立脚していたといっても過言ではありません。

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